台湾はなぜ親日か? 八田與一と妻外代樹

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 ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
 世界中のすべての方が幸せにありますように!
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2020年 令和2年
5・31(日)
 
   台湾はなぜ親日か?
   八田與一(よいち)と妻外代樹(とよき)

 姫野です。
 今日京都はくもりでと時々小雨降る
 お天気です。
 街には半袖姿の方も目立ってきました。
 今日は朝トースト1枚と卵焼き・納豆・牛乳
 の朝食でした。
  これを書いたら、買い物がてら
 回転ずしでも食べに出かけようか
 と思っています。
  
 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。
 コロナ騒動で僕は在宅勤務中心が続いています。
 当初は明日6/1から通常出社の予定でしたが
 現在さらに8月末までの延長に決まりました。
 必要な時のみ会社に週一程度の出社が原則です。

 まあ僕はもともとの貧乏暮らしで(トホホ…)
 影響がほとんどないのですが
 コロナ騒動で、収入が減りこの先の暮らしに
 不安を感じてらっしゃる方も
 多いのではと思います。

 観光バス・タクシー・ホテル・飲食店の多い
 京都の街はかなりの打撃です。
 閉店・解雇された調理師の方の
 「どうしてよいか分からない」
 という記事も京都新聞に出ていました。

 あなたはいかがでしょうか?
 
 つらいでしょうが
 やけなどは起こさず、冷静に
 何とか自分で生き延びる道を探して
 いくしかないと思います。

 僕が毎年楽しみにしている「祇園祭」も今年は
 もう中止が決まっています。

 さて
 世界もコロナ禍に加え・貿易戦争・内戦・イナゴ禍
 国家破産・経済停滞等々で
 今後の世界の人々の食料不足も危惧されます。

 今世界はもう経済的に深く繋がりあっており、
 自国内のみ・1国のみで
 幸せに豊かには暮らせません。

 今後の世界とのつながりを
 どうしていくのか。

 幸せな世界にするために
 日本はどうしたらよいのか?
 今後の日本は各国と、どういう付き合い方を
 していけばよいのか。

 中国・アメリカのやり方は
 行き詰っています。
 世界の人々を幸せにはしません。

 それに関連して参考になるのが
 親日国家台湾の事例です。
 それに大きく貢献した日本人
 八田與一(はったよいち)1886年 ~ 1942年
 を紹介させて下さい。

 台湾に当時東洋一のダムを造った
 日本人技師です。
  そして、その妻、外代樹(とよき)
 さんの話もさせて下さい。

 おっと長くなりますね
 続きは次回に…
 
 ではでは
 愛を込めて!

 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
 ana38655@nifty.com

 今日も笑顔でニコッとね。

 何であれ、そこに愛が流れてこそ
 はじめてこころから楽しくなります。
 
 幸せはごく自然な
 あなたの命の本来の属性です。
 
 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」
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平重衡のお墓をお参りする(2)深くも悲しき夫婦愛の話

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2020年 令和2年
5・18(月)
 
   平重衡の墓をお参りする(2)
   深くもちょっぴり悲しき夫婦愛の話

 姫野です。
 今日京都はくもりでときおり小雨降る
 お天気でした。
  
 いや~、ど~も、いかがお過ごしでしょうか。
 今日は昨日に続きの話ですが
 昨日
 1185年壇ノ浦の戦いで、「高倉」天皇・建礼門院・
 阿波内侍とともに輔子は入水
 と書きましたが「安徳」天皇の誤りです。
  見直したときに直したつもりでしたが
 ごめんなさい。
 僕はこれを「弘法もちょくちょく誤り」と名付けよう。
 (なんじゃそりゃ!)
     
 さて
 平家物語に残る
 平重衡(しげひら)と藤原輔子(すけこ)の
 夫婦のお話の続きです。

 1185年重衡が鎌倉から奈良へと護送される
 途中、山科から奈良街道を下ります。
 途中日野(醍醐)を通ります。

 重衡が言います。
 
 「私には子がないので思い残すことはないのですが、
  この近くに妻がおります。今一度対面して
  後生のことなど申し伝えておきたい
  武士の情けで、会わせてはもらえないか」

 今は重衡に好意を懐いていた鎌倉武士も
 これを許します。

 玄関に現れた重衡に輔子は
 「夢かうつつか…」と駆け寄ります。
 そして互いに涙ながらに、これまでのことを物語りします。
 
 重衡は「出家して髪を残したいがそれも叶わないので」
 と髪をひと房噛み切って輔子に渡し形見とした。

 輔子は「(壇ノ浦で)入水して死ぬべき身でありましたが、
 貴方が生きていると聞き、今一度お姿を見ることもあるかも
 しれないと願い生き長らえてきました」と涙を流した。

 輔子は重衡を白の狩衣に着替えさせ、
 (夫の衣装を用意するのは、当時の妻の
  たしなみ、役割でした)
 それまで着ていたものは形見とします。
 最後に別れの歌を交わした。

 重衡
  せきかねて 涙のかかる から衣
   後の形見に 脱ぎぞ替えぬる 
 輔子
  ぬぎかふる 衣も今は 何かせむ
   今日を限りの 形見と思へば

 と返歌した。
 重衡は「契りあれば来世にあってもまた逢えるでしょう」
 と言い残して去ります。
 
 奈良へ送られる重衡の後を見送る輔子は
 うち伏して、ただ泣きます。

 木津川河畔で大勢の見守る中で
 重衡は処刑されます。

 首は般若寺にさらされますが
 僧俊乗坊が請いもらい受け
 荼毘にふされます。

 首の骨は高野山へ
 他の骨は輔子の住む日野の地に
 埋葬されました。
 
 当時の女性はよほど高貴な身分でないと
 記録には残りませんので
 輔子のその後の確かなことは
 わかりません。

 ただ
 出家して、京都大原の寂光院で
 建礼門院・阿波の局・とともに
 暮らしたと伝わります。
 
 時代の波に翻弄され
 若くして別れざるを得なかった
 重衡と輔子の夫婦のひとつの現実の話です。

 たぶん、来世でまた出逢い、愛し合って
 幸せにお暮しだと思います。
 
 ではでは
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 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
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平重衡のお墓をお参りする。

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2020年 令和2年
5・17(日)
 
   平重衡の墓をお参りする
     
 姫野です。
 今日京都は昨日の雨も上がり
 気持ちのよい晴れの一日でした。
  
 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。
 京都はコロナ騒動もかなり落ち着き、暖かく
 なりました。

 今日は冬物のコートのクリーニング出し
 をしました(2800円)。
  しばらく丼物をいただいてなかったので
 昼は吉野家で牛丼と豚汁(740円)をいただき
 ました。

 好天なので、散歩がてら自転車で近くの
 平重衡(しげひら)のお墓をお参りしました。
 僕は小栗栖に引っ越してからもう何度か
 お参りしています。
 なぜ醍醐に平重衡のお墓があるのか?
  
 もうだいぶ以前にも書いたのですが
 僕は平重衡と奥さんの藤原輔子(ふじわらすけこ)
 が好きなのです。
  といっても、平家物語にある物語から
 想像するだけなのですが、短くも深く愛し合った
 理想の夫婦だっただろうと感じます。

 それで、
 今日は少しだけその話を共有しましょう。
 今から約800年前のお話になります。

 平重衡(1156-1185)は清盛の三男です。
 29年の生涯です。
 南都焼討で大仏殿を燃やし悪名が高いです。

 1180年清盛の命令で、南都の僧兵の鎮圧に
 出かけます。東大寺上の奈良入口の般若坂での
 戦いは長引き夜戦になりました。
 近くの民家に火をつけて、明かりとします。
  その火が、折からの強風にあおられて
 どんどん燃え広がり南都炎上となり
 東大寺・興福寺など一帯は焼け落ちました。
 大仏の首もこのとき焼けました。

 その後、重衡は一の谷の合戦で捕虜となり
 鎌倉に送られます。

 奈良の衆徒から、鎌倉に「重衡を引き渡せ、
 自分たちの手で重衡の首をはねないと
 怒りが収まらない」ということで
 執拗な要求があり、奈良の勢力も味方に
 つけておきたい鎌倉幕府としては
 引き渡すことに致しました。

 そして、木津川のほとりで斬首され
 首は般若坂にさらされました。

 さて
 前置きはが長くなりました。
 重衡は清盛の子供の中では、文武に秀で
 笛・謡・舞いも上手で戦も優れていました。
 仲間にも評判がよく、人気があり結婚相手もいわば
 より取り見取りの立場でした。
  しかし、重衡は身分の低めの輔子を選びました。
 僕の想像ですが、多分重衡が輔子を見初めた
 のだと思います。
  平家の没落、戦乱の中で
 夫婦は深く愛し合っていたという想いがします。
 
 輔子は、安徳天皇の乳母をしていました。
 1185年壇ノ浦の戦いで、高倉天皇・建礼門院・阿波内侍
 とともに輔子は入水、しかし源氏に助けられ
 その後、日野(醍醐)の姉のもとで暮らしていました。

  そう、重衡の墓のあるこの場所、
 この日野(醍醐)の地に重衡を想いつつ、
 輔子は暮らしていたのです。

 つづく…
 
 ではでは
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日本人の宗教観を考える。幸せに宗教は必要か(4)

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2020年 令和2年
5・10(日)
 
   日本人の宗教観を考える
   幸せに宗教は必要か(4)
     
 姫野です。
 今日京都はくもりでときおり雨のぱらつく
 お天気でした。
  
 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。
 このコロナ騒動で閉めてるお店も多く
 「資金繰りは大丈夫だろうか?」と
  自分の金のないのは棚に上げて
 余計な心配をしてしまいます。

 今日はよく行く近くの「くら寿司」で
 お寿司をいただいた後、自転車で
 親鸞聖人生誕の地の「日野の法界寺」
 から「醍醐寺」あたりまで、新緑の美しい山すそを
 自転車でぶらぶらと散策しました。

  やわらかき 枝々までの 若葉かな

     水澄み流る  醍醐寺の山

               修一郎
 
 さて
 幸せに宗教は必要かというお話の続きです。
 宗教はそもそもなぜ生まれたのか?

 人々の「幸せに生きたい!」
 「この不安・苦しみから逃れたい!」という
 心からの願いと祈りからでしょう。

 であるならば、
 特に何の宗教ということではなくても
 宗教はむしろあって当然のものといえる
 と思います。

 世界宗教となっているものは
 ひとしくその根底に愛を説きます。
 人の平等を説きます。

 個人・家族・部族・民族の幸せだけを祈る
 宗教では世界宗教にはなれません。

 今、日本人は「無宗教です」と答える
 人が多いのに、なぜ秩序ある暮らしが
 できるのでしょう。

 前回それは
 日本人には仏教の根底にある
 「人の道」という考えが広く共有されて
 いるからではないか。とお話しました。

 人としていかに生きるのがよいのか
 どう生きることが
 人としての正しい生き方なのか

 お釈迦さまは、この悩みから出発されました。
 
 そして
 「正理と法に従って生きなさい」ということから
 さまざまにその教えを残されたのです。

 正理とは、自然の物事の道理のこと
 (例えば、生まれたものは必ず死にます。
  重いものは投げれば下に落ちます。などなど)
 法とは「人としての生き方の真理」のこと
  この法は、正理と違い人が選択できるものです。

 日本には仏教のこの
 「人として正しい生き方をしなさい」
 という教えが聖徳太子のころから
 絶えることなく、流れてきたといえる
 「人の道を踏み外さない」
 それが日本人の宗教観と言える。
 僕はそう思うのです。

 日本人が「無宗教です」というときは
 現在の宗派ごとの「特定宗派仏教」や新興の
 「個人崇拝の教団」の信者ではありません。
 という意味で言っていると思います。

 ちなみに、今の日本の仏教は
 「宗派仏教」で、信者はその教団の宗祖の教えを
 学ぶ宗教になっていて、お釈迦さまの
 本来の原初の教えを学びません。
 これは望ましくはないと僕は思います。
 紀元前5世紀の教えではありますが
 お釈迦さまの教えは、今なお古びない
 深い哲学的考察に基礎づけられています。

 それで
 日本人はお釈迦さまの教えの源流にある
 慈悲のこころ、思いやりいたわる心は
 しっかりと流れている。
 それを宗教心として持っている。
 そう言ってよいと思うのです。

 人は
 何か自分の考えで生きていると思いがちですが
 実はあなたは
 「遺伝子と文化と知識」が服を着ている存在。
 遺伝子と文化と知識の乗り物と言えます。
 自分では意識してなくても
 文化はあなたに強い影響力を持っています。

 そうすると
 日本人はひろく世界に通用するよい文化を
 持っている。そう言ってもよいと
 僕は思うのです。

 人生において、今回のコロナ騒動に限らず、
 個人的に生活、暮らし健康に困り
 心が傷ついて悩むことがあっても
 「人の道を踏み外さずに生きる」
 その日本文化は大切に守り伝えていかなければ
 ならない。僕はそう思うのです。
 
 あなたはいかがでしょうか?

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日本人の宗教観を考える。幸せに宗教は必要か(3)

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2020年 令和2年
5・3(日)
 
   日本人の宗教観を考える
   幸せに宗教は必要か(3)
     
 姫野です。
 今日京都は1日くもりのお天気でした。
  
 ど~も、いかがお過ごしでしょうか。
 いや~、はや5月新緑のうれしい季節になりました。
 そろそろ田植えの季節です。

   あけぼのは まだ紫に ほととぎす

                芭蕉

  滋賀の石山寺はお参りされましたか?
  紫式部が源氏物語の執筆を開始した
  と伝わる「源氏の間」があります。
  芭蕉が石山寺に滞在したときの句です。
     

   風流の 初めや奥の 田植え歌

               芭蕉

  奥の細道で白川の関を越えて
  ここから「いよいよ陸奥(みちのく)」だ
  というときに詠んだ句です。
  うまい!ニクイぞ芭蕉!
  名句の味わいは時を超えますね。

 さて
 日本人の宗教観のお話をしていました。
 日本人は「私は無宗教です」と言いながら
 とてもよい行動秩序を持っています。

 幸せには、安心できる社会秩序という
 のは欠かせません。

 日本人には人のよいところを
 取り入れて学ぶという国民性があります。

 優れた人を見ては
 「いやあいつなんて大したことない」
 劣った人を見ては
 「あんな馬鹿と一緒にしないでくれ」
 
 ついそう思いがちです。
 でもそれでは、自分の成長はありません。

 聖徳太子17条の憲法10条に
「自分が聖人で相手が愚人だと決まっている
 わけではない。ともに凡夫なのだ。」

 との言葉があります。
 「論語」に曰く
 聖人を見てはこれに倣い、愚者を見ては
 自己を省みる
  ここから来ていると推察されます。

 私たちは、共に凡夫であり、お互いに
 助け合いかつ絶えず学ぶ心を説いています。

 はじめて、日本という国づくりを志した
 のは聖徳太子です。
 1回目の遣隋使を派遣したとき、隋の国王に
 使者は「日本はどんな国か」ときかれ
 その使者の答えに、「そんなのは国と呼べない」と
 国とは認められず追い返されました。
  たしかに、当時日本は豪族連合の国であり
 天皇を担いだ、豪族トップの
 蘇我馬子の支配するだけの国だったのです。
 (ちなみに、日本という国名を使用したのは
  天武天皇からです)

 そこで、聖徳太子はさらに悩みます。
 これから日本をどういう国として
 いけばよいのか。
 そうして、飛鳥に小墾田宮(おはりだのみや)
 という天皇と役人が集う宮をはじめて建て
 冠位十二階という役人の人材登用の制度を
 はじめてつくり
 役人の規範として憲法17条というのを
 はじめてをつくりました。

 聖徳太子の17条憲法に
 日本人の国民性の基礎がつくられた。
 その後、外敵の侵入征服ということがなく
 純粋に受け継がれてきたといえます。

 聖徳太子は、仏教・論語・儒教を学びました。
 そのよいところを取り入れて、17条憲法は
 つくられています。

 聖徳太子のそこに流れるのは
 お釈迦さまの仏教思想です。

 お釈迦さまの教えは
 現在あるような仏教教団の説く、教祖の教え
 や念仏を唱えるというのではなく

 「人の道」を説いたのです。
 人はいかに生きるべきか?
 人はどうすれば苦しみから解放されて
 生きることが出来るか

 その苦しみから解放されるための
 人の在り方
 人としての道
 を説かれたのです。

 この「人としての道」というのが
 仏教により聖徳太子に伝わり
 日本人の基礎にもなっている

 日本人の思考の基礎には
 人として自分は正しいか?
 「道」という考えが受け継がれ
 今も流れていると僕は思います。

 茶道・華道・柔道・剣道・武士道・商人道など
 ただそれをするだけでなく
 いろんな営みに、そこに道を学ぶということが
 受け継がれてきたのです。

 長くなりますね
 続きは次回

 自分は人として
 正しい在り方をしているだろうか
 自分の行為は
 人の道を外れてはいないだろうか

 その想いは、今も
 多くの日本人の営みの底に流れています。

 あなたはいかがでしょうか?

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