台湾はなぜ親日か? 八田與一と妻外代樹(5)最終回

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 ありがとうございます。今日もすべてに感謝します。
 世界中のすべての方が幸せにありますように!
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2020年 令和2年
6・18(金)
 
   台湾はなぜ親日か?(5)
   八田與一(よいち)と妻外代樹(とよき)

 姫野です。
 今日京都は一日雨の空模様でした。
 
 ど~も、いががお過ごしでしょうか。

 ブッダの教えに
 この世に一切のわがものはない。
 人は私の子供、私の財産という。しかし
 自分すら自分のものではない。
 どうして子供や財産が私のものであろうか。
  執着を離れて、安楽(ニルバーナ)の
 世界に住みなさい。

 八田與一の生き方には
 自己の利益・執着を離れて
 そこに住み暮らす、台湾の人の幸せ
 利益を第一に考えて仕事をした
 素晴らしさがあると思います。 
  
 さて
 台湾に大きく貢献した日本人
 八田與一(はったよいち)1886年 ~ 1942年
 その妻、外代樹(とよき)1901年~1945年
 の話の続き最終回です。

 1 台湾はなぜ親日か

  日本の利益・自己の利益を離れて
  台湾の方の利益・幸せを第一に考えて
  烏山頭ダムの建設にあたり
  広大な不毛の地を緑の大地に変え
  台湾の食糧生産に大きく貢献した
  八田與一・外代樹夫妻の役割は
  大変大きなものがあります。

  台湾の方は、お二人に深く感謝し
  烏山頭ダムに記念館・記念公園をつくり
  お二人の銅像をつくりました。
  そして、今も日本に感謝しています。

  台湾旅行される際には
  一度訪ねてみるのもお薦めです。

  外国に援助・支援をするときには
  こんなこころ・姿勢で援助するとよい
  というお手本のように思います。

 2 外代樹さんの死
  この話で少し悲しいのは
  外代樹さんが45歳で烏山頭の放水口
  に投身されたことです。

  與一の死以後、外代樹さんは
  めっきりと元気をなくし
  昔から折々に與一がよこした手紙を
  大切に保管していた箱を取り出しては
  涙を流していました。
   いつも、明るく元気で、子供たちには
  厳しくしつけをしていた外代樹でした。
  それが
  「お母さんは、最近変。
   こんな人じゃなかったのに」
   と心配されるようになり。

   また、亡くなる前は、しばしば
   放水口のそばにたち、ぼんやりと眺めて
   いることも多かったとのことです。

  9/1の朝、子供たちが起きて
  「お母さんのお姿が見えない」というとき
  2人の子供は、「もしや」と一番に
  放水口に行ってみました。
   草履がきれいにそろえて残されて
  いました。

  普通なら、夫が亡くなっても、子供たちが
  生きがいとなり、孫の顔を見るのを
  楽しみに生きる女性も多いと思います。

  もちろん、確かなことは
  僕にはわかりません。
  でも、與一の外代樹さんへの深い愛と信頼が
  外代樹の生きる力、こころの大きな支え
  になっていたことを、失ってみて
  外代樹も初めて意外なほど大きかったこと
  に気付かされたのだと思います。
  與一のいない人生は、外代樹には、もう輝きを失った
  ように感じたのだろうと思います。

   でも僕個人としては、外代樹さんには
  元気で長生きして欲しかった!
  まあでも、そこまで深く愛し合えたお二人は
  素晴らしいとも思います。

  あなたはいかがでしょうか?
   
 ではでは
 愛を込めて!

 姫野 修一郎(Himeno Shuichiro)
 ana38655@nifty.com

 今日も笑顔でニコッとね。

 何であれ、そこに愛が流れてこそ
 はじめてこころから楽しくなります。
 
 幸せはごく自然な
 あなたの命の本来の属性です。
 
 姫野修一郎のブログ「ただあるがままに」
 http://siawase1.at.webry.info/
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